9月に久しぶりのシネモンドでたまたま観たフランス映画
原題は
Une Estonienne a Paris
邦題は何故かオードリー・ヘップバーンの出てた有名な映画みたいになってて
どうなの?とは思うが
これも日本のちょっと恥ずかしい伝統なので仕方ない・・・
ロシアやドイツといった強国に挟まれた小さなバルト三国の中で
最も北に位置するのがエストニアという国らしい
私の世代では
昔、ソビエト連邦の一部だった、位置もよく判らない小国だ
映画は
そんなエストニアで痴呆症の母親を看取り
気付いてみれば
離婚して子供達も既に独立していて
一人ぼっちになってしまった50過ぎの女性アンヌのその後を描いている
寒い北国の凍えそうな冬景色がもの悲しく
生きる目的も見いだせないアンヌの心情が浸みてくる
そんなとき
かつて働いていた老人ホームから連絡が入り
憧れのパリでの仕事が舞い込んでくる
若くしてエストニアからパリに渡り
現在は高級アパルトマンでひとり暮らす
富豪の未亡人の世話係
この富豪の未亡人、マダム・フリーダを演じるのが
あの、ジャンヌ・モローだ
80代で
孤独で偏屈で頑固で
なかなかアンヌを受け入れようとしないマダム・フリーダ
ほとんど引きこもり生活でありながら
家の中でもシャネルのスーツやコスチューム・ジュエリーを
さらりと着こなす
完璧なパリの貴婦人をものすごい存在感で演じている
複雑な歴史を抱えるエストニア移民の過去と現在を織り交ぜながら
何故マダム・フリーダが故郷エストニアと縁を切ることになったのか?
という謎を軸に
孤独なマダム・フリーダを突き放せず世話を焼いている
カフェの経営者ステファン(アンヌと同世代)と
アンヌとマダム・フリーダの3人が
新たな関係性を築き
一度は失った生きる希望を見いだしてゆく物語
エストニアから憧れのパリへやってきたアンヌが夜な夜な散策する
観光客が見て回るパリじゃない
本当のパリ
カフェやギャルソンの役割とか
どうしてパリッ子の朝食が
クロワッサンと紅茶(あるいはカフェオレ)のみなのか?
とか
私の知らないフランス文化が面白い
年を取って孤独になって終わり
じゃない生き方は
待ってるだけじゃ手に入らない